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わかちあいのひととき「第12回:日本語の強さについて」

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新年あけましておめでとうございます。今年も皆様にとって良い年となりますように、と申し上げたいところですが、この2年間、世界中を巻き込む大きな出来事があって、我が国においても、行政から民間・個人に至るまで、さまざまな影響を受けてきました。混乱、不安、怒り、悲しみ、など様々なものが入り混じって、皆様少なからず、辛い思いをされてきたこと思います。

 

そんな中、最近思うのは、困難にあっても日本は強いなあということです。ノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥先生は、日本には「ファクターX」があるとおっしゃいました。いまだにそれが何なのか結論は出ていませんが、私はそのうちの一つは日本語ではないかと思っています。

 

20代でカナダに留学した際、自分が慣れ親しんだ日本語がヨーロッパ言語とはずいぶん異なった言語なのだとつくづく感じました。難しいとか簡単ということではありません。むしろ話し言葉・聞き言葉としては、日本語は文法もわかりやすく、母音の数も少なく、比較的易しいと言えるでしょう。日本語が話せないカナダ人の友人が、冗談でヒロ(当時の私の呼び名)が話す日本語はこんな風に聞こえるよと、めちゃくちゃな日本語を披露してくれた時、抑揚がなくて変な感じがしたものの、それっぽく聞こえたのが印象的でした。一方、書き言葉としての日本語は相当難解です。漢字・カタカナ・ひらがな・ローマ字の4種類の文字があり、文字数は1000種以上になります。さらにSNSを中心に顔文字・絵文字・ネット文字((# ゚Д゚)、( ´艸`)、?、?、www)などの独特な表記も出現し(なんと絵文字は日本発祥だそうです)、それが数年(数か月?)単位でどんどん変化していくため、普段日本語を支障なく使っている人たちでもついていけないほどです。

 

表記の複雑さについては、病気を一例にとると、一般には「病気」と漢字で表現します。これには特別な意味は込められてないと思いますが、「びょうき」と表記すると日本語が不自由な外国の方や子供たちのためのやさしい日本語として用いられます。「ビョウキ」と表記すると電報のような緊迫感を感じます。発音がほぼ同じで、「びょーき」、「ビョーキ」と書くと、「病気」とは少し違う意味になることは、皆様もお気づきになると思います。

 

日本語は外国語をそのまま取り込んで新しい表現を作り出すことが得意ですし、心情の表現力が豊かです。このことは今般の困難の中、人々が様々な考えや思いを通い合わせるのに役立っているのではないかと考えます。

 

これからも日本語の豊かな表現とそこに込められた人々の想いを大事にしていきたいと思います。

 

(参考:日本語の大疑問 国立国語研究所編 幻冬舎新書)

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